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2012年6月20日水曜日

保健学科看護学専攻 島田三由起

第三回、四回、五回、六回、七回、八回、九回、十回の授業に出席した。 

第三回では、へびのようになっている人や木が描かれている絵画を鑑賞した。 杖を持った魔法使いのような人以外みんなはだかであることから神話の一部を描いたものではないかという話になった。また魔法使いに杖をむけられている人たちがおびえていることから魔法使いは大きな力を持つ者として恐れられていたのではないだろうか。またパンセの文章はキリスト教の神がすべてのものを創造し人間や動物などには寿命があるため虚無から無限まですべてを見ることはできない(世界の始まりから終わりまでを見ることはできない)、つまり神のみぞ知るということを言いたいのではないだろうかという話になりました。

 第四回では、三枚の自画像について話し合った。初めの絵は少し美化されているだろうということで班員と話がまとまりました。二枚目の自画像は今までに見たことがあるものでした。背景が青や緑を主とした色で渦巻きのようになっているゴッホの自画像です。三枚目の絵画は正面を向いていないことと隅にもう一つ顔が描かれているのが印象的でした。 自画像は自分の外見を描いているだけでなく中身まで描こうとされているのだろうと感じました。 また、パンセの文章については王権についてかかれていることは分かりました。やはり、王様の長男が国を統治するという考え方は現代では誤っていると多くの人が感じるけど、パンセの時代ではそういう考え方が当たり前になっていたからわざわざこのような文章を作ったのかもしれないというはなしを班の人としました。

 第五回ではリレーフの鑑賞をしました。 この絵画には3人の人が描かれていました。1組の男女が手を握り合っていました。この絵に関しては全く話が弾まず困りました。「これらの惨めなこと」というのは別れや死をあらわしているのではないかという話になった。やはり、自分がすこしでも知っている絵画について話し合う回だと話が弾むが全く知らないものであるとなかなか難しかったです。高校までは暗記の勉強ばかりだが、大学では自分で考えることが大事なのだという先生のお話を思い出しました。私は自分で考えることも必要だと思いますが基礎の部分は暗記(?)知っていることが不可欠だと思います。なので、授業を受けるにあたってパンセの思想やキリスト教について事前に調べておくことが必要だと感じました。 第六回では絵画"道"について話し合いました。 緑の丘の間に一本の道が続いている絵で今までよりもシンプルで感想を述べやすかったです。今回は宮田さんと同じ班だったので、たくさん貴重なお話を聞くことができました。この絵画に描かれている道は途切れているようでずっと続いていてまっすぐだったり曲がっていたり、上り下りがあったりと私たちの人生を表しているのではないだろうかという意見が出ました。宮田さんはこの絵は私たちの魂を表したものではないでしょうかとおっしゃっていました。魂は肉体が滅びた後も天国や地獄で生き続けるということを表しているということなのかな?と思いました。高校時代に倫理でギリシャ哲学でエイドスとヒュレーといったように魂と肉体を分ける考え方をならったので西洋では肉体と 魂を分けて考えるのが主流なのかもしれないと感じました。

 第七回では十字架を背負うキリストという絵画を鑑賞しました。 この絵画には登場人物がとても多く、一人一人どのような印象を受けるかまず話し合いました。教会の神父さんのような人やその人に何か悪いことを言っているような人たち。また、穏やかな表情の女性。その女性の近くにいる目をつぶった男性をキリストと仮定し私たちは話を進めていきました。当時キリストは教会側に受け入れられず若者をたぶらかす悪い奴だという噂から処刑されたという話を聞いたことがあったのでこれはキリストが処刑される直前までの様子を描いたものではないだろうか思いました。しかし、周りにいる人達が何をしているのかはあまりよくわかりませんでした。

 第八回では日本の絵を鑑賞しました。真中でおばあさんがにこにこして幸せそうである一方周りに座っている家族は無表情で各自バラバラに自分のしたいことをしている。私たちの班ではこの絵のおばあさんが認知症で、周りの家族が彼女に居間に集められているのではないかという話になった。おばあさんが認知症であるため各自自分の部屋で居たかったが居間に集められしぶしぶ家族で一緒にいるが本当はおばあさんと後ろで立っている学生服の男の子以外は居間に居たくないと思っているのではないだろうかという話で意見がまとまった。また、着物を着ている人と洋服を着ている人が混じっていることから明治か大正時代で、ソファーやティーカップがあることからお金持ちの家ではないだ ろうかという意見がでました。パンセの文章を簡単に言うと神様の手によって私は今ここに生きていてそのことには何らかの意味や理由があるのだとゆうことだと思いました。

 第九回ではアムステルダムの川とそのまわりの家々が描かれた絵画を鑑賞した。 初め私たちの班ではヨーロッパの水辺なのでベネチアではないだろうかという意見が出ていたのでこの風景はベネチアの風景と仮定して話を進めていました。私は第六回での絵画と似ているなと感じていました。水は雨となり地上や海に降り川となり海にそそぎ、蒸発して雲を形成し雨となりまた降るといったように循環し絶えないものです。そういった意味で終わらないものを表現したのか、もしくは道と同じように終わっているように見えて海へと続き果てしないものであるということを表しているのかなあと思いました。西洋の景色は一目見て美しいだけでなくいろいろなとらえ方ができておもしろいなと感じました。

 第十回では4枚の絵画を鑑賞しました。今回は日本の絵でした。 1枚目では男の人の体を女の人が洗うのを手伝っている様子が描かれていて、2枚目はてんぷらと書かれたのれんが印象的でした。3枚目では女の人たちだけが手拭いで体をふき、着がえをしている様子が描かれています。4枚目は居酒屋さんかご飯屋さんの様子を描いたものではないだろうかという話になりました。今回のパンセの言葉の「人は精神が豊かになればなるほど、独特な人間がいっそう多くいることに気がつく。」というのは精神が豊かであればあるほどより多くの人の話を聞こうとすることで、より多くの価値観に触れることができ、結果として独特な人間がたくさんいることに気づくことができるのかなと思った。自分も人々の間に違いがないと思ったらまず、自分から違いを探 すことができる人にならなければいけないと感じました。

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