不変なものと、次々と形を変えるもの。形のみえないもの。 どちらを学ぶべきか。どちらから学ぶべきか。どちらが学ぶ対象になりうるのか。 自分と同じでない相手。 相手からどんなふうに見えるのか。 眉山からこんなことが見えてきた。 考えるためには眉山のような存在が必要なのだ。 期末レポート この授業で学んだこと (800字-1000字) 〆切7月31日
2012年4月24日火曜日
社会創生学科 大谷陽夏
映像で絵画を大橋先生の講義を聞きながら見たあと、前後の席でグループになって話しあいをしました。まずは自己紹介をして、その後配られたパンセの絵画の印象、書かれている文章の意味について語り合いました.私たちグループの班員全員絵画のことについては無知であったので印象について語り合うときは、見たまんまの子供が考えそうなことを発言したり、文章について語り合うときは、みんなが文章の出だしにつまずいてなかなか話し合いが進まないという、大変行き詰まった状態が続きました。配られた絵画についての印象は、真中右の女の人が右にいる二人の人を追放しようとしているようですが、得が全体的に明るい色でかかれているので、追放されそうになっている、悪い事をしたとおもわれる二人もそんなに悪そうに見えませんでした。一番印象的だったのは、やっぱりヘビだと重います。ヘビはこの絵画の真中にあって、誰が見ても一番に目に入る印象的なものです。文章については、一番不可解に思ったことは、「それなら…」という言葉から文章が始まるところです。それなら、というからには何かこの言葉の前に文章がなければならないのではないか?と思いました。そのことについてグループで話してみたところ、班員全員が謎に思っていたらしく、いくら話し合っても答えがわかることなく謎のままに終わってしまいました.講義が終わって自分で調べてみましたが、答えを見つけることはできませんでした。絵画について考えてみると、考えれば考えるほど深みにはまっていって、いろいろな考え方、見方がでてくるものだとおもいました。全体を通しては、今回が初めて絵画を使った講義だったので、新鮮さがあって、これからの講義に対する期待も高まりました
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3 件のコメント:
それならの前につぎの文章があります。授業で配布したものでは、省略しました。また、考えてみて下さい。(大橋)
そもそも自然のなかにおける人間というものは、いったい何なのだろう。無限に対しては 虚無であり、虚無に対してはすべてであり、無とすべてとの中間である。両極端を理解することから 無限に遠く離れており、事物の究極もその原理も彼に対して立ち入りがたい秘密のなかに固く隠されており、 彼は自分がそこから引き出されてきた虚無をも、彼がそのなかへ呑
の
み込まれている無限をも等しく見ることができないのである。
グループトークが充実していて羨ましいです ( ´・‿・`)!
たった1枚の絵画からたくさんの見方、考え方ができるのはすごいですよね。
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